江戸の幕藩体制がおわり、
新たな国家が世界に向けて開かれた
明治の御一新。
歴史が大きく動いたこの激動期に、
茶商 九郎兵衛は創業いたしました。
織田家と共に丹波へ
元禄8年(1695年)に織田家が
大和國宇陀松山藩(現在の奈良県宇陀市)から
丹波柏原へ国替えとなった際、
高祖である池畑 九郎兵衛も共に移ってきた
ことが
織田家臣名簿に記されております。
以後、織田家は10代にわたり
この地を治めます。
茶商への転身
江戸時代の終焉と共にそれまで仕えた藩がなくなり、新たな生計が求められました。そのため禄を離れ、
茶商として生きる決断をします。
当家には、左右対称な「茶」の文字の意味について
説かれた古文書が残されており、初代はそこに身分や立場など関係なく、淹れ手と飲み手が向き合うお茶の精神性を見て取ったと伝えられています。
創業の精神
柏原藩最後の藩主信親公の旧臣への別れの辞、
「仮令(たとえ)飢凍の逆境に陥るとも、
名誉を重じ廉恥を知り、国法を守り
家名を穢すことなかれ、斯の如き清廉の人を
我織田家の旧臣中から出す事を得るのは、
即ち面目にして名誉である、之を以て
別れの辞とする、敢て懈(おこた)ること
勿れ。」
※「柏原町志」より抜粋
想いの灯を守り続ける
時代の変遷と共にお茶の楽しみ方も
多様化
していますが、お茶とは和のこころであり、
真心が形となったものであることに変わりはありません。
先人の想いを大切に引き継ぎ、次代へ
つないでいきます。